「はぁ、やっと寝た…」
時計を見ればもう夜の8時。朝からろくに座る間もなく、ミルク、オムツ、抱っこ、そしてまたミルク。産後2ヶ月、まだ体の回復もままならない中、赤ちゃんの小さな命を預かる日々は、想像を絶するほど体力と精神力を消耗します。夕飯の準備に取り掛かる頃には、もう体は鉛のように重く、キッチンに立つことすら億劫でした。
冷蔵庫にあるもので、何とか栄養のあるものを…と、その日の献立は白米、タラの照り焼き、そして味噌汁。これでも精一杯の、愛情を込めた手料理でした。夫が仕事から帰り、「いただきます」と箸を取る。
「うん、美味しいよ」
その言葉に、張り詰めていた心の糸が少しだけ緩んだ気がしました。しかし、その安堵も束の間、夫は続けたのです。
「でも、ちょっと質素だね」
その一言は、疲れ切った私の心に、鋭いナイフのように突き刺さりました。「質素…？私、どれだけ頑張って作ったと思ってるの？」喉まで出かかった言葉を、かろうじて飲み込みました。目にじわりと熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、私は必死に平静を装いました。しかし、心の中では嵐が吹き荒れていました。
「この人は、私がどれだけ大変な思いをしているか、全く分かってないんだ…」
寝不足で頭はぼーっとするし、体はあちこち痛い。それでも、あなたのために、家族のためにって、何とか作ってるのに。なぜ、その努力すら認められないのだろう。なぜ、こんな心ない言葉を平気で言えるのだろう。私の献身は、こんなにも軽んじられるものなのか。もう、料理なんてしたくない。このまま、ずっと「質素なご飯」しか作れない私を、夫は愛してくれるのだろうか…この先ずっと、こんな冷たい関係が続くのかと思うと、胸が締め付けられました。
「毎日、こんな思いをするなら、いっそ何も作らない方がマシなのかもしれない」
なぜ私だけが、こんなに追い詰められているんだろう。誰も私の苦しみを理解してくれない…心の中は、絶望と怒り、そして深い悲しみでぐちゃぐちゃでした。食卓の向こうで、何事もなかったかのようにテレビを見ている夫の顔が、今はただ憎らしかったのです。このままでは、夫婦の関係まで壊れてしまうのではないか、という漠然とした不安が、私を支配しました。
産後の「質素」な食事は、あなたの「頑張りの証」
夫の言葉に深く傷つき、料理への気力を失ってしまったあなたへ。まず知ってほしいのは、産後の「質素」な食事は、決して手抜きでも愛情不足でもなく、むしろあなたが限界の中で最大限の努力をしている「頑張りの証」だということです。赤ちゃんのお世話、夜間の授乳、慣れない育児への不安、そして自身の体の回復。これら全てを抱えながら、毎日食卓に食事を並べる行為自体が、どれほど偉大なことか。その労力は、計り知れません。
夫の「質素」という一言は、おそらく悪気なく、日常の感想として口に出したのかもしれません。しかし、産後の女性にとっては、その言葉の裏に「私の努力は認められない」「期待に応えられていない」というメッセージを読み取ってしまいがちです。これは、産後のホルモンバランスの急激な変化や、精神的な不安定さが大きく影響しています。普段なら聞き流せるような言葉でも、この時期は深く心に刺さってしまうものなのです。
夫婦の溝を埋める「たった一つの対話」
この状況を乗り越えるために最も重要なのは、夫婦間の「対話」です。しかし、感情的になっているときに話し合っても、ただ衝突するだけになりかねません。大切なのは、冷静に、そして自分の気持ちを「I（私）メッセージ」で伝えることです。
「あなたが『質素だね』と言った時、私はとても悲しかった。寝不足で体も辛い中、精一杯作った食事が認められず、努力が否定されたように感じたの」と、具体的に自分の感情を伝えることで、夫はあなたの痛みを理解しやすくなります。夫は、あなたがそんなに傷ついているとは夢にも思っていないかもしれません。自分の言葉があなたをどれほど苦しめているか、想像できていないだけの場合も多いのです。
そして、産後のあなたの状況、例えば「今は体が思うように動かないこと」「赤ちゃんのお世話で手一杯であること」「十分な睡眠が取れていないこと」などを具体的に説明しましょう。夫は家事や育児の現実を知らないからこそ、無意識に期待値を上げてしまっている可能性があります。
「完璧」を手放し、夫婦で「分かち合う」新しい食卓
産後の食事は、完璧を目指す必要は全くありません。むしろ、「手軽さ」「栄養」「夫婦の協力」を最優先すべきです。例えば、以下のような工夫を取り入れてみましょう。
- ワンプレートごはんの活用: 主食、主菜、副菜を一つの皿に盛り付けるだけで、見た目も栄養バランスも整います。洗い物も減り、片付けの負担も軽減されます。
- ミールキットや冷凍食品の賢い利用: 「手抜き」ではなく「時短」と捉えましょう。時間と心に余裕が生まれることで、赤ちゃんとの時間や自分の休憩時間を確保できます。
- 夫の協力を引き出す: 「週に2回は夫が担当する」「休日は一緒に料理する」「買い物は夫に任せる」など、具体的に役割分担を提案しましょう。夫も「何を手伝えばいいか分からない」と感じているかもしれません。具体的な指示は、夫が行動を起こすきっかけになります。
- 作り置きや下ごしらえの習慣: 週末にまとめて野菜を切る、肉を漬け込むなど、少しの工夫で平日の負担は格段に減ります。無理のない範囲で取り入れてみましょう。
夫に「質素だ」と言われたことがきっかけで、料理への気力を失いかけているあなた。それは、あなたが頑張りすぎているサインかもしれません。完璧な母親、完璧な妻である必要はありません。まずは、自分の心と体を休ませることを最優先してください。そして、夫と共に、新しい夫婦の形、新しい食卓の形を築いていくチャンスだと捉えましょう。この困難を乗り越えた先には、より深く、より強い夫婦の絆が待っています。あなたは一人ではありません。心から応援しています。