「また、怒鳴ってる…」。健太さんは、リビングから響く妻の声に、思わず身をすくめました。3人目が生まれて半年。愛おしいはずの家族が増えた喜びも束の間、妻の茜さんはまるで別人になってしまったかのようです。些細なことでもイライラし、子供がおもちゃを取り合うだけで雷が落ちる。昔の優しかった茜さんの面影は、どこにも見当たりません。健太さんは仕事から帰れば、疲れた体に鞭打って掃除をし、夕食も作ります。休日には子供たちを連れて公園に行き、茜さんに一人の時間を作る努力も惜しみませんでした。なのに、です。
「何か不満があるのか?」と尋ねても、「別に。疲れてるだけ」と素っ気ない返事。その言葉は、健太さんの心に深く突き刺さります。「なぜこんなに変わってしまったんだ?俺の努力は水の泡なのか?もうどうすればいいのか分からない…」 夜中に一人、冷たいキッチンで洗い物をしながら、健太さんの胸には深い絶望感が押し寄せます。「このままでは家族が壊れてしまうんじゃないか…」 かつて築き上げてきたはずの夫婦の絆が、ガラガラと音を立てて崩れていくような不安に苛まれるのです。
健太さんのように、「妻がまるで別人になったようだ」と感じる夫は少なくありません。特に3人目の出産後となると、その傾向は顕著になることがあります。しかし、夫がどれだけ家事や育児を手伝っても、妻の心に届かないのはなぜでしょうか?
実は、妻の「不機嫌」や「怒り」は、水面に浮かぶ氷山の一角に過ぎません。夫の目に見える「手伝うべきこと」は、その氷山のわずかな部分。しかし、妻の苦しみの大部分は、水面下に隠された巨大な氷塊、すなわち「メンタルロード」と「産後の心身の変化」なのです。
水面下の巨大な氷塊:メンタルロードとホルモンの嵐
妻が抱える「メンタルロード」とは、家事や育児における計画、段取り、指示出し、そして常に子供たちの安全や健康を気にかける精神的な負担のこと。例えば、
- 今日の夕食の献立を考え、冷蔵庫の中身と相談し、足りないものをメモする。
- 子供たちの予防接種のスケジュールを管理し、予約を取る。
- 消耗品の在庫を把握し、買い足すタイミングを計る。
- 子供の些細な体調変化を見逃さず、病院に行くべきか判断する。
これらは、夫が「手伝う」だけでは決して解消されない、妻の頭の中で常に回転し続けるタスクです。3人目となると、新生児の世話に加えて、上の子2人の異なるニーズにも応えなければなりません。睡眠は細切れになり、自分のための時間は皆無。体は常に疲弊し、心は休まる暇がありません。
さらに、出産後の女性の体は、急激なホルモンバランスの変化に晒されます。出産を終えると、妊娠中に大量分泌されていたエストロゲンやプロゲステロンといった女性ホルモンが激減。この急激な変化は、精神状態に大きな影響を与え、イライラ、気分の落ち込み、不安感を引き起こしやすくなります。これに睡眠不足とメンタルロードが重なることで、妻の心はまさに「嵐の海」にいるような状態なのです。
なぜ「3人目」だと特に辛いのか?
「もう経験者だから大丈夫だろう」という周囲や自分自身の期待が、かえって妻を追い詰めることがあります。しかし、実際は3人目だからこその困難が山積しています。
- 複雑化する育児: 年齢の異なる3人の子供たちの世話は、それぞれの発達段階に合わせた対応が必要で、単純に負荷が3倍になる以上の複雑さがあります。
- 自己犠牲の深化: 上の子たちのケアも疎かにできないという思いから、自分自身の休息やケアをさらに後回しにしがちです。
- 社会からの期待: 「ベテランママ」としての役割を無意識に押し付けられ、弱音を吐きにくい状況に陥ります。
このような状況で、夫の「手伝っているのに」という言葉は、妻にとっては「私の苦しみの本質を全く理解していない」という絶望感を深めることになりかねません。
夫にできること:水面下の氷塊に光を当てる3つのステップ
妻の心の氷山を溶かすには、表面的な「手伝い」から一歩踏み込み、水面下の「見えない苦悩」に光を当てることが不可欠です。
1. 「何がつらい?」と聞く勇気を持つ
「不満はないか?」ではなく、「今、何が一番つらい?」「どんな時に一番しんどいと感じる?」と、具体的な感情に寄り添う質問をしてみてください。妻が言葉にできなくても、夫が真剣に耳を傾ける姿勢を見せるだけで、心を開くきっかけになります。妻の言葉を否定せず、ただ「そう感じているんだね」と受け止める傾聴の姿勢が重要です。
2. 「名もなき家事」の見える化と分担の再構築
妻が抱えるメンタルロードを具体的にリストアップし、「見える化」しましょう。例えば、買い物リスト作成、子供の持ち物の準備、季節ごとの衣替え、イベントの企画など。それらを夫婦で共有し、夫が意識的に「自分が担う」と決めて実行することで、妻の精神的な負担は大きく軽減されます。ただ「手伝う」のではなく、「自分が主体的に責任を持つ」という意識が大切です。
3. 「物理的サポート」に「精神的サポート」を添える
家事や育児の物理的な手伝いはもちろん重要ですが、それに加えて「いつもありがとう」「本当に頑張っているね」といった感謝や労いの言葉を具体的に伝えましょう。妻の努力を認め、共感を示すことで、妻は「理解されている」と感じ、孤立感が和らぎます。また、妻が心からリラックスできる「一人の時間」を積極的に作り出し、その間は夫が完全に育児を引き受ける覚悟も必要です。
夫婦の絆を再構築する旅
3人目の出産は、夫婦にとって新たな試練であり、同時に夫婦の絆を深める大きなチャンスでもあります。妻の感情の嵐は、夫に「もっと深く理解してほしい」というSOSのサインかもしれません。表面的な行動だけでなく、その背景にある妻の心身の状態に目を向け、共に乗り越えようとする姿勢が、未来の家族を強く、温かいものにしていくでしょう。
「あの時の妻の怒りは、俺へのSOSだったんだ」。そう気づいた時、健太さんの心に温かい光が差し込みました。夫婦の絆は、見えない痛みに寄り添う「見えない愛」によって、再び強く結び直されるのです。
この困難な時期を乗り越えた先に、きっと本当の意味での「家族」が待っています。それは、互いを深く理解し、尊重し合える、かけがえのない宝物となるでしょう。
