深夜2時。へとへとの体を引きずって、ようやく帰り着いた我が家。静まり返った部屋の電気をつけると、シンクに置かれたままの夫の食器と、テーブルの隅に追いやられた私の作り置きが目に飛び込んできました。
『ごめん、今日飲み会になった!』
昼間に届いた、たった一文のメッセージ。わかってる。仕事の付き合いが大切なことくらい、頭ではわかってる。でも、心が追いつかない。
夜勤明けの気力と体力を振り絞って作った、夫の好きな唐揚げ。ラップのかかったお皿を前に、私はその場に立ち尽くしてしまいました。
(…また、これか…)
心の声が、冷たく響きます。
(私の頑張りって、何なんだろう。誰のために、こんなに必死になってるんだろう…?もう、疲れたな…)
看護師の私と、カレンダー通りに働く夫。お互いを思いやっているはずなのに、致命的に合わない生活リズム。温かい食事を一緒に囲むなんて、夢のまた夢。虚しさと孤独感が、じわじわと心を蝕んでいく。
あなたも、こんな風に一人きりのキッチンで、ため息をついたことはありませんか?
この記事は、かつての私と同じように、パートナーとの生活のすれ違いに悩み、料理をする気力さえ失いかけているあなたのために書きました。
これは、単なる時短レシピや作り置きのテクニックを紹介する記事ではありません。すれ違いの根本原因に目を向け、二人の心の距離を再び近づけるための、少し違った角度からの提案です。もう「虚しい」なんて思わない。そのための具体的なステップを、私の失敗談と共にお話しします。
なぜ頑張るほど虚しくなる?すれ違いの本当の正体
以前の私は、問題の解決策を「作り置きの工夫」に求めていました。もっと日持ちするメニューは?温め直しても美味しいものは?人気のレシピサイトを巡り、週末はキッチンに立ちっぱなし。まるで、それが正解だと信じ込むように。
でも、現実は変わりませんでした。急な予定で食べてもらえなかった料理を、翌日一人で黙々と食べる。その繰り返し。頑張れば頑張るほど、期待が裏切られた時のダメージは大きくなり、虚しさは増すばかりでした。
あなたの努力は「水漏れを雑巾で拭く」のと同じかもしれない
ある時、ふと気づいたんです。この状況は、まるで「水漏れしている家の床を、ひたすら雑巾で拭き続けている」ようなものだと。
一生懸命に新しいレシピを試し、彩り豊かな作り置きを用意するのは、高性能な雑巾や最新のモップを手に入れるようなものです。確かに、一時的に床は綺麗になるかもしれません。でも、蛇口の元栓が緩んでいる限り、水はポタポタと漏れ続け、あなたの努力に終わりは来ません。
いつしか「どうして私だけがこんなに…」と、床を拭くこと自体が、とてつもない苦痛になってしまうのです。
この「水漏れの元栓」とは何でしょうか?
それは、「食事は、夫婦が一緒に顔を合わせて食べるべきものだ」という無意識の思い込みと、すれ違いを前提としたコミュニケーション不足です。
本当に必要なのは、もっと上手に床を拭く方法(料理の工夫)ではなく、二人で一緒に「どこから水が漏れているんだろう?」と原因を探り、元栓を締め直すこと。つまり、私たちの状況に合った「食」の新しいルールを作り、コミュニケーションの形を変えることだったのです。
ステップ1:心の負担を軽くする「やめることリスト」
まず最初に取り組むべきは、元栓を締める前に、びしょ濡れの床で疲れ果てている自分を救い出すことです。つまり、心にかかっている重荷を意図的に下ろすことから始めましょう。
完璧な手料理という「呪い」をやめる
「夫のために、栄養バランスの取れた温かい手料理を」
この考えは素晴らしいものですが、今の私たちにとっては重すぎる「呪い」になっている可能性があります。まずは、その完璧主義を手放しましょう。惣菜を買う日、冷凍食品に頼る日、ミールキットを使う日があっていい。それは手抜きではなく、二人の生活を円滑に回すための「賢い選択」です。自分を責めるのは、今日で終わりにしましょう。
「きっと食べてくれるはず」という期待をやめる
虚しさの最大の原因は、「期待」です。善意の期待が裏切られた時、人は深く傷つきます。だから、期待するのをやめてみませんか?
作り置きは、「夫のために」から「未来の自分のために」へと意識をシフトします。「もし夫が食べなくても、明日の私のランチになるからラッキー」と思えれば、気持ちは驚くほど軽くなります。食事の主導権を、相手から自分に取り戻すのです。
理由を詮索するのをやめる
「どうして食べてくれなかったの?」「飲み会、断れなかったの?」
疲れている時に、この問い詰めは喧嘩の火種にしかなりません。相手にも事情がある。今は、その事実だけを受け止めましょう。責めるエネルギーがあるなら、自分を労わる時間に使ってください。温かいお茶を一杯飲む、好きな音楽を聴く。それだけで、ささくれた心は少し癒されます。
ステップ2:「食事」の定義をアップデートする新しいルール作り
心の負担が少し軽くなったら、いよいよ「元栓」を締めにかかります。二人で「食事」の定義そのものを広げ、新しいコミュニケーションの形を探っていきましょう。
「交換ごはん」で時間を超えたコミュニケーション
一緒に食べられないなら、時間を超えて想いを繋ぐ工夫をしてみませんか。私たちが始めたのが「交換ごはん」です。
- 作り置きに一言メモを添える:「夜勤頑張ってくるね!これ食べて、あなたも頑張ってね」「この煮物、うまくできたよ!感想聞かせてね」
- 夫からの返信:食べたお皿の横に「ごちそうさま!めっちゃ美味しかったよ。いつもありがとう」と付箋で返事をしてもらう。
たったこれだけのことですが、「作った」「食べた」という事実だけでなく、その裏にある想いが可視化されることで、孤独感は驚くほど薄れていきました。食事が、単なる栄養補給から、非同期のコミュニケーションツールに変わった瞬間でした。
月に一度の「ごちそう予約」
毎日が無理なら、特別な日を目標にすればいい。私たちは、月に一度だけ、お互いの休みを絶対に合わせる「ごちそう予約の日」を設けました。
- その日は少し奮発して外食する
- 一緒にキッチンに立って、特別な料理を作る
- デリバリーを頼んで、ゆっくり映画を観る
この「予約」があるだけで、「今はすれ違っているけど、あの楽しみがあるから頑張れる」と、日々の虚しさが希望に変わっていきました。日常の小さなすれ違いを、非日常の楽しみが上書きしてくれるのです。
「準備」の時間を共有する
「平日に一緒に食べる」のが難しいなら、「休日に一緒に準備する」のはどうでしょう?
週末の数時間、二人でキッチンに立って、来週分の下ごしらえや常備菜を作る。音楽をかけながら、その週にあった出来事を話しながら。この時間は、単なる作業ではなく、立派なコミュニケーションの時間になります。
「これはお前が好きなやつ」「これは俺が作る」なんて会話をしながら手を動かせば、孤独なキッチンが、二人の共同作業の場へと変わります。
| 古い思い込み(すれ違いを悪化させる考え方) | 新しいルール(すれ違いを乗り越える考え方) | |
|---|---|---|
| 食事の目的 | 家族団らん。一緒に食べることに価値がある | コミュニケーションツール。想いを伝える手段の一つ |
| 作り置き | パートナーのために作る「義務」や「愛情表現」 | 未来の自分とパートナーを助ける「仕込み」や「ストック」 |
| 理想の食卓 | 毎日、温かい手料理が並び、笑顔で食卓を囲む | それぞれが心地よい形で食事を摂り、メモや会話で繋がる |
| 相手の予定 | なぜ予定を優先するのか(不満・詮索) | お互いの仕事を尊重し、無理のない範囲で共有する(信頼・協力) |
ステップ3:食卓の向こう側へ。二人の未来を育む対話
食事のルールを見直すことは、あくまで応急処置です。本当に大切なのは、その先にある二人の関係性を、より強くしなやかなものへと育てていくこと。
「当たり前」をなくし、「ありがとう」を増やす
「作ってくれて当たり前」「家のことをしてくれて当たり前」。この「当たり前」が、感謝の気持ちを奪い、関係を蝕んでいきます。どんなに小さなことでも、「ありがとう」を言葉にして伝えましょう。
「いつも美味しいごはん、ありがとう」「仕事大変なのに、作ってくれてありがとうね」
この一言があるだけで、「私の頑張りを見てくれている」という安心感が生まれ、料理へのモチベーションも不思議と湧いてくるものです。
食事以外の「心の栄養」を見つける
食事でのコミュニケーションが難しい今だからこそ、それ以外の繋がりを意識的に作ることが大切です。
- 寝る前の10分間だけ、お互いの話を聞く時間にする
- 共通の趣味(ドラマや映画鑑賞など)を見つける
- 出勤前や帰宅時に、必ずハグをする
食事が「愛情」のすべてではありません。様々な方法で心の栄養を補給し合うことで、二人の関係はもっと安定します。
これからの「二人」について話す
今の働き方、生活スタイルは、いつまで続くのでしょうか。将来、子供は欲しい?どちらかが働き方を変える可能性は?
すぐに答えが出なくても構いません。大切なのは、「私たちは同じ未来を目指すチームなんだ」という意識を共有することです。サン=テグジュペリの言葉に、「愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」とあります。食卓で向かい合えなくても、同じ未来を見つめることはできるはずです。
よくある質問(FAQ)
Q1. 夫が家事に協力的でなく、私ばかりが頑張っている気がします。どうすればいいですか?
A1. まずは、一人で抱え込まずに「虚しい」「疲れた」というあなたの素直な気持ちを伝えてみましょう。その際、相手を責めるのではなく、「二人の問題」として相談するのがポイントです。「どうしたら、もっと楽になるかな?」と、解決策を一緒に探すスタンスで話してみてください。この記事で紹介した「準備の時間を共有する」などを提案してみるのも良いでしょう。
Q2. 作り置きをしても、結局外食やコンビニで済ませてくる夫に腹が立ちます。
A2. とてもお気持ちがわかります。その怒りの根源は「私の気持ちを無視された」という悲しさかもしれません。対策としては、短期的に「期待をやめる」こと。そして中長期的には「飲み会などの予定は、前日の夜までに連絡する」といった明確なルールを設けることです。ルール化することで、個人の感情の問題ではなく、二人の約束事として対処しやすくなります。
Q3. そもそも料理が苦手で、作り置き自体が大きなストレスです。
A3. 料理が苦手なことは、何も悪いことではありません。無理して作り置きにこだわる必要は全くありません。今は質の高いミールキットや、健康的で美味しい冷凍宅配サービスもたくさんあります。そうした外部サービスを積極的に活用し、「料理をしない」という選択をすることも、自分と家庭を守るための立派な方法です。浮いた時間と気力で、パートナーとの対話の時間を増やした方が、関係にとってはるかに有益な場合もあります。
あなたの「いただきます」が聞こえる明日へ
かつて、静まり返ったキッチンで一人、虚しさに震えていた私。でも今は、少し違います。
テーブルの上に置かれた夫からの「ごちそうさま!唐揚げ最高!」というメモを見つけた時、夜勤明けの疲れがふっと軽くなるのを感じます。顔を合わせられなくても、心が通じ合う瞬間が、そこには確かにありました。
共働きで、シフト制。この働き方は、決して楽なものではありません。でも、乗り越えられない壁でもありません。
大切なのは、世間の「理想の夫婦像」に自分たちを無理やり当てはめるのではなく、二人だけの「心地よい関係」をオーダーメイドしていくこと。
食卓が合わないのなら、心の時間を合わせればいい。
この記事が、一人きりの食卓でため息をつくあなたの心を少しでも温め、パートナーとの新しい一歩を踏み出すきっかけになれたら、これほど嬉しいことはありません。
